海外旅行前にこれだけ - シンガポールの歴史をまとめました。

【14世紀】海の町「テマセック」からライオンの街「シンガプーラ」に

今から700年ほど前、シンガポールは古代ジャワ語で「海の町」を意味するテマセック(Temasek)という名前で知られていました。近隣の王国の王子がテマセックを訪れた際に、ライオンに似た不思議な獣を発見。これは吉兆に違いないと考え、サンスクリット語で「ライオンの街」を意味するシンガプーラ(singapura)という名前を付けます。(※諸説あり)

少し寄り道して、マーライオンの話をしましょう。merlionのmerはフランス語で「海」を意味し、「海の町」であったテマセックにちなんだ名前が付けられています。またデザインも胴体が魚の尾であること、また波の上に乗っていることにも「海」という意味合いが大きく表現されているので、歴史を感じながら見るのも粋ですね。

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 【15〜18世紀】歴史の表舞台から消えたシンガプーラ

15世紀にマラッカ王国が建国されるとシンガプーラもその支配下に置かれます。ところがその約100年後、大航海時代の荒波の中でマラッカ王国ポルトガルに占領されます。シンガプーラは占領時代に荒廃し、海上交易都市から一転、マングローブが生い茂り、海賊まがいの住民たちしかいない漁村となってしまいます。

 【19世紀】ラッフルズ卿のシンガプーラ上陸と急速な発展

その後、オランダ、イギリスとマラッカ海峡周辺の支配者が絶えず移り変わっていきます。そのような状勢の最中、1819年1月29日、イギリス東インド会社の書記官トマス・スタンフォードラッフルズがこの地に降り立ちます。彼はアジア地域の貿易の要となりうる新天地を求め、この地に英国貿易商館を立て、自由貿易港を建設しようと奔走します。彼によって、都市計画、政策・制度などが定められ、名称も英国風の「シンガポール」へと変更されました。現在、リトル・インディア、チャイナタウンなどがある理由も、元々はラッフルズ卿が人種毎の抗争を避けるために都市計画において区画を定めたことが発端です。こうしてラッフルズの計画を元に急速に発展し、1819年には200人もいなった寒村が、1822年には1万人、20世紀初頭には20万人にも達することとなります。缶詰の発明でスズが、自動車産業の勃興でゴムの輸出の最大拠点となったシンガポールはさらなる発展を遂げていくこととなります。

ラッフルズ卿をさらに詳しく知りたい方は下記のサイトが詳しいです。

http://www.jas.org.sg/magazine/yomimono/jinbutsu/raffles/raffles.html

 【20世紀】リー・クアン・ユー政権下での目覚しい発展

太平洋戦争が始まるとイギリスから日本がシンガポールを奪い取り、昭南島と改名します。戦時中は厳しい弾圧がなされことにより国民の独立への志向が高まり、戦後の独立運動の原動力となったと言われています。その後、マレーシアとともにイギリスから独立しますが、マレー人を優遇するマレーシア中央政府と華僑が大半を締めるシンガポール側の対立が激化。1965年8月9日にマレーシアから分離する形で独立を果たします。その後、リー・クアン・ユーの元で一党独裁の政治の下、経済・外交・教育・観光等の様々な分野で多くの取り組みが成果を出し、今の先進国シンガポールとなりました。

どれほど発展を遂げたのかは、ぜひ皆さん自身で確認してください。

 

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